こんにちはかさこです。
以前別の記事でロックの歴史について触れました。

こちらではあまり述べませんでしたが、ボブディランをはじめとして、ロックは学生運動や社会的風刺の手段として用いられたことで発展してきました。
ビートルズが後期にメッセージソングを多く作ったのも彼の影響であったそう。
その後もピストルズからグリーンデイ、日本でも忌野清志郎や斉藤和義が社会的風刺を歌っています。
そんな中近年話題となったのが、2016年のフジロックに学生団体SEALDsのメンバーらが出演したことです。そしてそれを擁護したアジカンの後藤に批判が集まりました。
今回はそんな「音楽に政治を持ち込むな」という意見に対して私の考えをお話ししたいと思います。
ロックと政治は切っても切り離せない
お酒の席では政治と野球と宗教の話はするなと昔から言われていますが、個人の価値観がピッタリ一致することはありませんのでどうしてもこれらの話題は争いの原因となってしまいます。
フジロックの件が問題となったのも純粋に音楽を楽しむ場に水を差されるような感じがするというのも理解できます。
その一方で
私自身政治に詳しいわけではありませんので、内容に関しての言及はしませんが、ロックと政治はその歴史から見ても切っても切り離せないものだと思います。
争いを避けようとする日本人的な気質ゆえ、お酒の席以外でも政治の話がタブーになった結果、ラブソングしか歌わないロックバンドが溢れかえることになりました。
表現の自由が保証されている日本では、法律上何を信じ何を主張しようが個人の自由なのです。
しかし、現状政治の話には触れないという暗黙の了解が出来上がってしまっています。
それでも私がアジカン後藤の発言を不快に思ったわけ
ロックに携わる人間が政治的発言をすること自体、私は肯定します。
しかしながらアジカン後藤をはじめとすフジロックの件はどうしても不快に感じました。
先に言っておきますが、アジカンの音楽が嫌いなわけではありません。
ロックは反骨心である
先にも述べましたが、私は社会風刺的発言自体には肯定的です。
忌野清志郎も斉藤和義もボブディランも大好きですし、その行動も含めてロックだと思います。
彼らとフジロックの件の大きな違いは、個人の主張か否かという点です。
表現の自由がありますから個人が原発に反対しようと戦争反対を掲げようと自由なわけです。
しかし、フジロックの一件はSEALDsや共産党といった組織が政治の道具として音楽を使っているのです。
個人の意見ならば問題提起で済みますが、そこに党が絡んでくると政治活動です。
反体制をうたいながら別の体制を支持するのはロックとしてどうなんでしょうか。
私はあまり良い気がしませんでした。
まとめ
ロックと政治的発言について私が思うことをお話しさせていただきました。
簡単にまとめると
ロックに政治を持ち込むことは肯定
しかし、政治活動を持ち込むのは否定
です。
アーティストは良くも悪くも影響力が大きいですので、行動には気をつけてほしいですね。
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