こんにちはかさこです。
皆さん一度は音楽番組等で耳にしたことがあるでしょう「若者に共感を呼んでいる」というフレーズ。
これだけスマホが普及し、SNSでいいね!を押すだけで簡単に共感の意思表示ができる時代です。
共感こそが評価基準となり、より多くいいね!が集まるものがいいものだという考えがちです。
以前紹介しましたが、とうとういいね!に金銭的価値がつくSNSすら登場しました。

今回はそんな共感至上主義にたいして異議を唱えたいという記事です。
共感はマーケティング的には正解
まず否定しておきたいのは、共感はマーケティング手法としてはかなり優秀です。
音楽にしても大衆の意見に迎合するということはそれだけ多くの人に聴いてもらえるということです。
言い換えれば売れたいなら大昔から普遍的に共感を呼ぶ話題である、恋愛について最大公約数的に歌うのが正解であると言えます。
映画にしてもわかりやすいラブコメやコミックの実写化が人気ですよね。
ただ私が言いたいのはそれでいいのかというお話しです。
アートとデザイン
本題に入る前提として、アートとデザインの違いについて知ってもらわなければなりません。
私も芸術を専門に勉強したわけではありませんので詳しい説明は避け、なるべく噛み砕いてお話しします。
たとえばこちら
みなさんも見たことがあるでしょう、非常口のマークです。
このマークを見れば例え漢字の読めない子供や外国人でもなんとなく理解できそうですよね。
触れた人に答え(ここでは非常口であること)を提示するのがデザインです。
当然受け取り方が人によって違うと困ります。
イラストだけでなく、シャーペンからロケットまでありとあらゆるものが目的を達成するためのプロセスを経て作られています。
シャーペンは字を書くために、ロケットは宇宙を飛行するために最適な形にデザインされているのです。
一方でアートはアーティストの自己表現であるため受取手の感じ方によって答えは千差万別です。
同じピカソの絵を見ても怖いと感じる人もいれば、温かみを感じる人もいて当然なのです。
2つの違いを端的に言うならば
WHY(なぜ)を問いかけるのがアート
BECAUSE(なぜなら)と答えるのがデザイン
です。
それぞれ問題提起、問題解決のプロセスと言い換えることもできます。
あなたが聴いているのはアーティストの楽曲ですよね?
アートとデザインの説明を終えたところで本題に戻りましょう。
察しのいい方は私が言わんとしていることが理解できたと思います。
共感という評価軸で音楽を聴くということはアートの楽しみ方ではありませんよね。
音楽番組でもなんでもミュージシャンではなく、アーティストとして紹介されます。
しかし、共感を目的とするだけの歌しか歌わない彼らは果たしてアーティストと呼んでいいのでしょうか。
じゃあ別にアートじゃなくてもいい
ここまで読んでくださった方の中には
「じゃあ別にアートじゃなくても良くない?」
と思われた方もいるでしょう。
ですので、アートに触れる意味を簡単に説明させていただきます。
アートは面倒くさい
このブログでも何度かお話ししましたが、人間は楽な方へと流れていく生き物です。
その点でいうと問題提起であるアートに触れることは答えのないものを考え続ける面倒くさいものでしかありません。
一方で共感のためにデザインされたものは明確な答えがありますので受け取るのは楽なのです。
じゃあアートに触れる意味って何なのか
それは極論あなたの生きている価値そのものです。
あなたという人間の価値を簡単に式にしてみましょう。
(あなたのいる世界)−(あなたのいない世界)=(あなたの価値)
となります。
つまり、あなたという自己を表現しなければあなたの価値はゼロです。
自己を表現するのはアートですよね?
アートに触れると
「作者は何を意図しているのか」
考え
「私はこの作品をこう読み取った」
という意見を持ちます。
今度はあなたがそれを発信する。
この他者を認め、自己を発信するというのがアートの楽しみ方であり、人間の本質そのものであるのです。
デザインが社会を豊かにするものであるなら、アートはあなた自身を豊かにするものです。
まとめ
共感という聴き方について私の意見をシェアしました。
これを機にアートに触れてみようと思っていただけたら幸いです。
少々堅苦しい話になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございます。
こちらでも自己表現のお話をしていますので併せてご覧ください。

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