ライブでのダイブ・モッシュ行為の問題を倫理学から分かりやすく解説する

コラム

こんにちはかさこです。

ライブでのダイブ・モッシュは激しいバンドには付き物ですよね。

しかし、毎年といっていいほど怪我人がでて「禁止すべきかどうか」という論争が盛り上がりますよね。

そこで、倫理学的な観点からみてモッシュ・ダイブ行為の是非について考えてみたいと思います。

でも、倫理学って少し難しそうなイメージがありますよね。

ですので今回は倫理学の基礎をできるだけ難しい言葉を省いてわかりやすく解説したいと思います。

なぜ対立する意見が出てしまうのか

なぜ意見の対立が起こるのか、それはその人がどんな人間関係を重視しているのかによって考え方が変わってくるからです。

人間関係と一口に言ってもいろんな人ととの関わりがありますよね。

それらは関わりあいの度合いによって3つに分類することが出来ます。

1.社会

一つ目は社会的な関係です。

イメージしづらいかもしえませんが、皆さんなにかしらの社会に属していますよね。

日本という国であったり会社や学校のような組織での関わり、こういったものが社会に分類されます。

社会が成り立つためには法律や政治、経済といったルールや枠組みが必要です。

こういったものを重要視する方は「正義」を重んじる人だといえます。

2.身近な関係

こちらは一番分かりやすいかもしれません。

友人や家族、恋人などが分類されます。

身近な関係の中でも、お互いの足りない部分を補い合う「相補的な関係」と何かしらの共通点をもつ「共同的な関係」にさらに分類することも出来ます。

相補的な関係は理想的な恋人や親友の形ですよね。一方、会社の同僚や学校のクラスメイト、バンドメンバーなどは「共同的な関係」であることが多いかもしれません。

社会よりも自分よりも身近な関係を優先する人は「愛」を重要視する人と言えます。

3.個人

人間関係という表現とは少し違うかも知れませんが、社会や身近な関係よりも自分自身を重要視する人だって当然います。

そういった人は「自由」を重要視しているといえます。

ここで勘違いしてはいけないのが、自由とは何をしても良いということではなく、他者の自由を侵害するようなことは当然してはいけません。

自分の自由を権利として主張する前提として他者の自由を侵害しないという義務がつきまといます。

人間関係の何を重視するか

ここから本題に入ります。

ライブでのダイブ・モッシュ行為を認めるべきという人とやめるべきという人では、どの人間関係を重視するかが違います。

それらの行為を肯定する人は個人の自由あるいは身近な人間関係の愛を重視するが故、

その身内でのルールや楽しみ方を絶対視しています。

一方、ダイブ・モッシュをやめるべきだという人は社会的な関係における正義、あるいは上の人たちとは別の身近な人間関係を重視しているといえます。

両者のどちらが正しいというわけではありませんが、言い争いが起こって当然なのです。

責任の所在は明確にしておくべき

ではこの問題を解決する糸口はどこにあるか、それは責任の所在を明確にすることだと思います。

近年の大型フェスでは、ダイブ・モッシュの禁止を掲げるところが増えてきました。

これは当然の流れだと言えます。

フェスは幅広い層が参加しますし、そういった行為でおこった怪我の責任を運営側が負うことはできません。

運営側が禁止している以上、ダイブ・モッシュはしてはいけません。

しかし、ライブハウスなどでは、明確に禁止を打ち出していないところも数多くあります。

そういったところではダイブ・モッシュをするのは個人の自由だといえます。

忘れてはいけないのが個人の自由には他者の自由を侵害してはいけない義務が付きまといます。

当然怪我をさせた責任は自分で負わなければなりません。一方でダイブ・モッシュが起こるであろうと予測される激しいライブに参加するのも自由ですが、多少の怪我は覚悟すべきことだと思います。

どうしても嫌なら禁止されているイベントに参加するほかありません。

まとめ

運営、アーティスト、ファンがそれぞれ自分達がルールを作っている以上責任を持った行動をとりましょう。

私はどちらが正しいとは言いませんが、せっかく同じ音楽が好きな仲間ですから、みんなが楽しめるライブをみんなで作っていく上で自分の意見を押し付けるのではなく、他人の意見を尊重できるようになればいいですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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